一般のビル・マンション管理から、空調システム、給排水関係、営繕工事、清掃に至るまでのトータルメンテナンスを提供しています。 おかげさまで35年一般のビル・マンション管理から、空調システム、給排水関係、営繕工事、清掃に至るまでのトータルメンテナンスを提供しています。 おかげさまで35年

スタッフ紹介

気まぐれ日記

2021年3月11日

10年前の私の体験
    
今年3月11日は東日本大震災からちょうど10年。ここ数日で各メディアで当時の映像が流れ、その痛ましい状況に津波や地震の恐ろしさを改めて感じています。  

私は当時東京で就職活動の真っただ中で、その日は銀座にあるビルの8Fでの説明会に参加しており、その最中に地震が起きました。大きな揺れで机が散らばり、古いビルだったので今にも崩れ落ちるのではないかと恐怖で足がすくんで近くの席に座っていた同じ就活生に助けてもらわないと動けないほどでした。     
そのまま説明会も中断され、行く当てもなくとりあえず新宿まで行けば帰れると思い3時間ほどかけて歩いて新宿へむかいました。     
新宿にたどり着くとどこもかしこも高いビルで、「もしも次大きな地震が来てビルが倒れてきたら死んでしまう」と都会の真ん中に逃げ場はないと感じました。     
神奈川から来ていたのでその日は結局帰宅難民になりましたが、運よく新宿の高校の体育館で一夜を過ごさせてもらえました。
夜は高校の職員の方が用意してくださったテレビで放送されるニュース番組を観ていました。その東北のすさまじい状況は、これは夢なんじゃないかと思うほど衝撃的で今でも忘れられません。
空腹で外に出てもほとんどのお店が混乱で閉まっていて、コンビニは強盗にあったかのように商品が床に散らばり、食品もほとんどない状況でした。唯一開いていた吉野家さんの行列に並び、夕食にありつけました。
その体育館で過ごしたとき、なにが一番欲しかったかというとスマホの充電器でした。みんな家族との安否確認をするためにメールや電話を使うので電池がなくなり、多くの人が充電器を持っていた数名の人にお借りしてみんなで少しずつ充電し合いました。充電器はそんなにかさばるものでもないので、いざという時のために鞄に入れておくというのも防災の一つになるのかもしれません。
翌朝には電車が動き、帰宅しましたが、その後も余震が続き、恐怖で数日は友達の家ですごしました。
東京ですらあんなに大きな揺れと恐怖を毎日感じたのだから、東北で被災された方々のことを思うとどれだけの御苦難を乗り越えてこられたのだろうと胸が痛みます。     

私はまだ幼くほとんど記憶にありませんが阪神淡路大震災で受けた被害や、東日本大震災の記憶を置き去りにしないようにその時の教訓を今後の防災や支援活動に活かしていきたいと思います。